鷲尾英一郎の日記

鷲尾英一郎衆議院議員(地元出身!県民党として動く! 筋を通し行動する!)の公式ブログ。鷲尾英一郎本人更新

鷲尾英一郎の日記

歴史から学ぶ「テロ支援国家」再指定の意義。

www.bbc.com

時すでに遅きに失しているかもしれない。米国が2008年に北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を行ってから、ようやく再指定となったが、失われた時間は大きい。

この間、北朝鮮は核開発を止めなかったし、米国をもずっと欺いて来たのだから、国としての覚悟が違うと言うべきか。

北朝鮮の覚悟に対して国際社会がどこまでの覚悟を示せるかという段階に既に入っているのではないか。

北朝鮮の国家としての意思、つまり独裁者の意思を分析することは幾らでも出来るだろう。「北は本気で攻める積もりはない」「南北朝鮮統一を狙っていて対外的野心はない」「米国もミサイル開発をしているから北が同じことをやって何が悪い」「核開発をしたとしても自国の防衛が目的だ」などと分析して見せても、北朝鮮はこれからも覚悟を示し続けるだろう。

こんなときこそ、歴史を紐といて考えなければならない。

第2次世界大戦の始まる前、ナチスドイツは政権を取ると再軍備と徴兵制を復活した。たとえヴェルサイユ条約違反だとしても、自国防衛の為となれば、当然の措置だと周辺国も納得せざるを得なかった。続いて、非武装地帯とされたラインラントに進駐した。

さすがに度重なる違反に対して、英仏も警戒を抱かないわけではなかったが、両国民の間には平和主義が蔓延しており、ヒトラーは戦争を企てている訳ではない、自国防衛の為には当然だという論調も手伝って、ヒトラーの行動を認めざるを得なかった。さらにはオーストリア併合については同一民族だから、という理由で干渉しなかった。

さすがにチェコスロバキアズデーテン地方の併合に当たっては、衝撃が走った。しかし当時のイギリスチェンバレン内閣は宥和政策に出た。ヨーロッパは平和が保たれたとしてチェンバレンは拍手喝采を受けたが、チェコスロバキアの代表はミュンヘン会議にも呼ばれず犠牲となったのである。

その結果がどうであったか?

ズデーテン地方にはマジノ線に匹敵する要塞線と軍需工場であるスコダ社があったが、ヒトラーはそれらを奪い、着々と戦争準備を進めて、チャーチル首相が批判したように、ついに「不必要な戦争」を起こすに至るのである。

宥和政策をとるイギリス政府に対して、チャーチルは常にナチスドイツを叩くべきだ、と主張したが、残念ながら受け入れる者はなかった。

その後の歴史こそがチャーチルの評価する所を変えたのである。

北朝鮮が覚悟を示し続けるならば、私たちも覚悟を持たなければならない。私たちは、これからも、これまで以上の脅威にさらされると考えるべきだ。

国会質問について


与野党の時間配分について色々な議論がなされている。

結論から言えば、与党は内閣が提出する法案の事前審査を行っているから、国会は与党審査終了後の法案について議論を行うことになる以上、野党に質疑時間が多く配分されるのは当然だ。

しかし、与党からは質疑時間の配分を与党により多くすべき、という強気の議論がなされている。今般の総選挙の結果が与党を強気にさせているし、それでも世間の与党支持率が下がらないことを見ると、有権者は従来型の野党の質疑に余り価値を見出だしていない様だ。

これをきっかけに、野党の国会戦略、具体的には国対戦術は根本的に改めるべきだ。
特に、スキャンダル追及ばかり行い、重要な問題を議論せず、政府の揚げ足を取っているだけというイメージは悪い。野党幹部が思っているより余程、野党に染み付いて離れないイメージである。同時に、一部の与野党対決法案では、野党はプラカードを掲げ、バリケードを築いて深夜まで国会を開かせるという国対戦術がテレビで中継される。

これでは、たとえ与野党が合意する法案が約8割と言ってみても、全く訴求力がない。

実際、予算委員会での質疑者は必ず激しく追及する立ち居振舞いを求められる。建設的で穏当な質問はむしろ野党内では忌避され、テレビ中継が入る質疑であればなおさらその傾向は強い。

野党幹部は、質疑の内容如何よりも、ワイドショーでの視聴率や放映時間を基準とすることが多い。他方、新人議員はテレビ中継に出れば地元で活動していると認められるから、積極的に、より激しく追及の技を磨くことになる。

けれども、私の個人的感想としては、それでテレビ中継に出たとしても、果たして見込んだ結果が伴うかは疑問だ。それで野党の支持率は上がらないばかりか、与党の支持率は下がったとしても一時のこと。そのうち与党の支持率は回復しても、野党は揚げ足を取ってスキャンダルを追及していたというイメージだけが国民に残ることになる。

民進党時代は変わらなかったが、果たして新党がどのような国対戦術を取るのか本当に期待して見ている。もうこれ以上同じことを繰り返して頂きたくない。ここまで結果が出ていても野党国対戦術は変わらないのだろうか、、、、、。

野党幹部の間には、安倍政権ではどうせ色々な問題が出てくるはず、という根拠無き楽観論が蔓延しているだろうが、不都合な真実から目を背けては党勢拡大は望めない。
野党の質問が国民に貢献しているとの実感があれば、与党を強気にさせることはあり得ない。

過去の有事法制制定時における当時の民主党の対応を思い出してほしい。そこから政権交代への道筋が始まったと考えている。

「無所属の会」は決して無所属ではない。民進党と名乗るべきだ。

先般行われた総選挙で、私は公示日に離党届けにサインし、無所属で戦った。その私が奇妙と感じざるを得ない国会の会派「無所属の会」について申し上げたい。

私も、選挙後に無所属で塊をつくる、としてお誘いを受けたが即座にお断り申し上げた。理由としては、「無所属の会」は無所属で出馬したけれども民進党に籍のある議員の会派であり、色々な思惑が隠されていると感じたからだ。ちなみに岡田氏は他の野党との結節点となることを明言している。私は事前にそういう説明は受けていない。

しかも、無所属の会の中には、民進党の役職を受けたメンバーもいる。今後も民進党から政党交付金を受け取って政治活動をされると聞いた。

選挙に際して退路を断つと主張し、無所属で出馬した者が、実は民進党の党籍を持ったまま民進党からお金を受け取って活動することを、どれだけの有権者が正しく理解できるであろうか。

確かに民進党員であるから、論理的には政党交付金をもらって活動してもよいのかもしれない。しかし、民進党の政党交付金で政治活動し、民進党の役職を受けているメンバーが会派をつくっているのであれば、会派の名称は「無所属の会」ではなく、まさに「民進党」がふさわしいではないか。

私は完全に無所属である。無所属の会と誤認されるのは正直嫌だ。もし無所属と敢えて名乗っているとしたら、それは有権者に対して説明が必要だ。説明を敢えてしないとしたら騙しになりかねない。もちろん、無所属で出馬しても民進党に戻って構わないという民意もあるだろう。ただ私は、退路を断って無所属で戦うと訴えた以上、民進党員のまま民進党のお金で政治活動をしながら、表面上無所属と取り繕うのは、余りにも無理がある。

ここで、私が離党した経緯についても触れたい。総選挙に無所属で出馬したのは、もちろん希望の党から「排除」されたのではなく、新潟5区の補欠選挙で候補者擁立の責任者であったからだ。

(詳しくはこちらをお読みください。「無所属での立候補。-鷲尾英一郎の日記」

解散当日、民進党両院議員総会で前原提案は熱狂的な拍手をもって迎えられていた。その後の記者会見でも総選挙後に議論という留保はあったにせよ、参議院、地方組織を希望の党へ合流させることを多分に含んでいた。そのような前原提案に対して、熱狂の中、私は憮然としたまま腕組みをして拍手承認することを拒否したひとりだ。党の決定に敢えて従わない以上、離党届けを出す以外の選択肢はなかった。巷間言われていることと異なり、前原提案は決して満場一致ではなかったのだ。その後、無所属で立候補する公示日までの間に、様々な圧力を受けたことも指摘しておきたい。それに屈さなかったことも。だからこそ今、完全無所属でいる。

私は寡聞にして無所属の会の方々が離党届を出したことを聞かない(菊田真紀子議員を除く)。無所属の会のメンバーが、なぜ敢えて誤解を与えかねない「無所属の会」という名称を使うのか?隠された意図は何なのか?

無所属の会などと名乗らず、会派の名称を堂々と「民進党」に変更し、有権者と向き合うことが誠実な態度であると考える。