鷲尾英一郎の日記

鷲尾英一郎衆議院議員(地元出身!県民党として動く! 筋を通し行動する!)の公式ブログ。鷲尾英一郎本人更新

鷲尾英一郎の日記

「無所属の会」の岡田氏が民進党本部で記者会見。

無所属の会」の岡田氏が民進党党本部で記者会見を行ったということを聞いて驚いた。拙稿が思いの外反響を呼び、多少新聞でも報道されたが、まだ「無所属の会」と名乗り続けるのだろうか?

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そもそも会派の代表とはどのような存在だろうか。一般的に、会派とはもちろん政党ではない。議会運営上、何らかの共通の理解に基づく議員同士の集まりとなる。

では、その代表たる立場はどのような手続きで選出されているのだろうか。

会派が特定の政党のみで構成される場合、あるいは、ある政党とともに無所属議員が加わる構成となる場合であれば、主要政党の代表又は幹事長が会派の代表となるのが通例である様だ。ただ、議員同士のみで構成される場合には論点となる。

常識的には、お互いの互選ということになるのだろうが、岡田氏が会派の代表であるのは、実態として期数が多いからという理由なのかもしれない。会派は政党ではない以上、単なる政党の代表とは異なる意味を持つし、どのような選定プロセスなのかは注意する必要があろう。また、会派を代表する立場に対して、その構成員が期待する役割は何なのかも、会派ごとに当然異なることになる。

構成する政党の代表又は幹事長が会派の代表となるのであれば、政党の政治的目標を達成するための政治的行動を代表する存在だろうが、お互いの互選でしかない会派の場合には、どこまでを会派構成員の共通理解とするかで、会派代表が何を代表するのか問題となる。こういうことに報道諸兄には特にご留意頂きたいし、特別な政治的意味を持たず、事務手続き上の、ある意味便宜上の代表者でしかないと考えるのが自然な場合もあるのだ。

 先日のブログでも指摘したが、実態として民進党であるならば、民進党と名乗るべきだし、民進党代表の大塚氏の指揮下において様々な政治的行動がなされるべきだろう。岡田氏自身、参議院民進党に対する衆議院民進党会長的な意味合いで記者会見を行っているとされる。実際、過去、民進党としては、代表とは別に参議院会長が置かれ、それなりの発信をされていた。それならばある程度理解することはできる。

だとすれば、である。

なおさら会派は「民進党」と名乗るべきだ。ここで岡田氏が「無所属の会」と言い続けるのは大きな自己矛盾がある。ちなみに会派メンバーから仄聞したところによると、他党から離党してくる議員が所属しやすいということも含めて、「無所属の会」にしておく意味があるとのこと。

であれば、それとこれとは全く違う話だし、他党から離党される方々が、民進党という名前の会派だと入りにくいと言うのは、おかしなことこの上ない。経験豊かな諸先輩のなされることであるから、当然それ相応の所に落ち着くとは思っているが。

旧民主党が政権交代に至った国会対応

今では考えられないことだが、2003年、旧民主党はそれまでタブーとされていた有事法制の法案に、与党とともに賛成し、その後の国民保護法制定に大きく貢献した。まさにこの国会対応を境に2大政党へ道を大きく踏み出したと確信している。

当時は北朝鮮の不審船やテロ活動の脅威があり、日米同盟のガイドラインも冷戦後の対応を踏まえて変質していた。日本の求められる役割が大きく変わり、有事法制制定の機運はかつてないほど高まっていた。

翻って今や、中国の脅威や米国の東アジアでの影響力の低下まで加わっている。2大政党を目指すならばどういう対応が求められるか、野党として深く考えねばならない。
そうでなければ、政権交代の芽すら完全に消えてなくなってしまうだろう。

と、結論を先走ったが、平和安全法制や、組織犯罪処罰法(共謀罪法案)の審議に際して、民進党は過去を忘れたかの様に反対することに終始した。

与野党対決法案の審議に際しては、大きく分けて2つの対応が考えられる。
ひとつは、とにかく他の野党と共闘して反対し審議日程を引き延ばして、時間切れ廃案を目指す対応。他方、とにかく反対では与党に数で押しきられるから、修正協議に持ち込んで出来るだけ野党の意見を法案に反映させるという対応。

面白いことに2つの立場の支持者は明確に分かれる傾向にある。

前者の対応を支持するのは、民進党内の左派、その支持者、あるいは社民党幹部と言った人たちで、もっと華々しく反対してくれ!という声を聞いた。他方、後者の対応を支持するのは民進党内の保守系だ。少しでも前進させ現実に責任を持ちたいとする心構えからなのだろう。

特に2015年以降の国会対応は、他の野党との連携を重んじる余り、対応が硬直化した感がある。もちろん、選挙は大事だが目先の選挙を目当てとする対応がどういう結果を生むか。国民のニーズや関心に建設的に対応することが何を生むか。まさに過去の国会対応に学ぶべきではないか。

歴史から学ぶ「テロ支援国家」再指定の意義。

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時すでに遅きに失しているかもしれない。米国が2008年に北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を行ってから、ようやく再指定となったが、失われた時間は大きい。

この間、北朝鮮は核開発を止めなかったし、米国をもずっと欺いて来たのだから、国としての覚悟が違うと言うべきか。

北朝鮮の覚悟に対して国際社会がどこまでの覚悟を示せるかという段階に既に入っているのではないか。

北朝鮮の国家としての意思、つまり独裁者の意思を分析することは幾らでも出来るだろう。「北は本気で攻める積もりはない」「南北朝鮮統一を狙っていて対外的野心はない」「米国もミサイル開発をしているから北が同じことをやって何が悪い」「核開発をしたとしても自国の防衛が目的だ」などと分析して見せても、北朝鮮はこれからも覚悟を示し続けるだろう。

こんなときこそ、歴史を紐といて考えなければならない。

第2次世界大戦の始まる前、ナチスドイツは政権を取ると再軍備と徴兵制を復活した。たとえヴェルサイユ条約違反だとしても、自国防衛の為となれば、当然の措置だと周辺国も納得せざるを得なかった。続いて、非武装地帯とされたラインラントに進駐した。

さすがに度重なる違反に対して、英仏も警戒を抱かないわけではなかったが、両国民の間には平和主義が蔓延しており、ヒトラーは戦争を企てている訳ではない、自国防衛の為には当然だという論調も手伝って、ヒトラーの行動を認めざるを得なかった。さらにはオーストリア併合については同一民族だから、という理由で干渉しなかった。

さすがにチェコスロバキアズデーテン地方の併合に当たっては、衝撃が走った。しかし当時のイギリスチェンバレン内閣は宥和政策に出た。ヨーロッパは平和が保たれたとしてチェンバレンは拍手喝采を受けたが、チェコスロバキアの代表はミュンヘン会議にも呼ばれず犠牲となったのである。

その結果がどうであったか?

ズデーテン地方にはマジノ線に匹敵する要塞線と軍需工場であるスコダ社があったが、ヒトラーはそれらを奪い、着々と戦争準備を進めて、チャーチル首相が批判したように、ついに「不必要な戦争」を起こすに至るのである。

宥和政策をとるイギリス政府に対して、チャーチルは常にナチスドイツを叩くべきだ、と主張したが、残念ながら受け入れる者はなかった。

その後の歴史こそがチャーチルの評価する所を変えたのである。

北朝鮮が覚悟を示し続けるならば、私たちも覚悟を持たなければならない。私たちは、これからも、これまで以上の脅威にさらされると考えるべきだ。