鷲尾英一郎の日記

鷲尾英一郎衆議院議員(地元出身!県民党として動く! 筋を通し行動する!)の公式ブログ。鷲尾英一郎本人更新

鷲尾英一郎の日記

国連追加制裁決議後の朝鮮半島からの漂着船等状況

朝鮮半島からの漂着船等状況

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2017年に漂着した朝鮮半島からのものと思われる木造船等は、2016年に比べると2倍近くになった。事実関係からすれば、報道にもあるように、日本の排他的経済水域で地理的中間線近くの大和堆にて2017年7~8月を中心に北朝鮮漁船が活発な漁を行っていた。海上保安庁によると、当時数百隻にも及んだため、水産庁からの協力要請があり取り締まりを行ったところ、9月中旬以降は北朝鮮漁船については排他的経済水域外での漁にとどまった模様である。

 

日本の漁船が現在は安全に操業している。

2017年11月下旬以降、北朝鮮漁船はほぼ確認されず、日本のいか釣り漁船が大和堆にて安全に操業している状況だ。

2017年11月は前年比6倍の漂着船舶等があったが、2017年夏ごろから秋にかけて日本の排他的経済水域およびその近辺で出漁した木造船が悪天候により難破した後、潮流の関係で日本の日本海沿岸に数か月かけて漂着したということだ。

海上保安庁は生存者から事情を聴取し、また北朝鮮内の状況を公表情報からおしはかりながら、状況を分析していることのことだが、北朝鮮内では漁業資源が重要な外貨獲得源であること、公的機関が事実上管理する中で出漁していることが分かっており、巷間噂される組織的な工作員の侵入経路ということではないようだ。

 

国連安保理による追加制裁決議後の動向に注視

2017年12月の国連安全保障理事会で中国やロシアも含む15か国の全会一致で採択された北朝鮮への追加制裁決議で、漁業資源ならびに漁業権の取引も禁止された。北朝鮮漁業の今年の動きがどうなるか注視しているとのこと。常識的に考えれば、危険を冒して外貨獲得を行う必要性は減少するはずだから、この点に限れば、今年の漂着事案は少なくなると予想される。そうでないとき、違う要因を考えなければならない。

真の立憲主義者の作法

前回、選挙活動における熱狂を省みねばならないことを記したが、平和安全法制の議論において、突如スポットライトを浴びた立憲主義についても冷静に省みるが必要である。

立憲主義を重視するならば解釈余地を問題視すべきである。

民進党に所属し、私は党議拘束に従い平和安全法制に反対した。反対した理由は党執行部の集団的自衛権の行使は憲法違反だとする公式見解とは異なる。私が平和安全法制に反対したのは、自衛権発動の3要件の変更と解釈余地の大きさに根本的課題があると考えていたからである。

政府が提案した新3要件の第一に「我が国、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。」とある。この「危険」の解釈を恣意的に行う余地が大きいのだ。たとえば、ホルムズ海峡の機雷除去や、経済危機のみを理由に集団的自衛権が発動されるならば、どんな拡大解釈も可能となり得る。首相の国会答弁で担保されるには余りにも縛りが弱い。

野党幹部は、平和安全法制は違憲であり、立憲主義違反との理由で反対していた。歴代政府は自らお手盛り憲法解釈を過去何度も繰り返しており、もはや政府のご都合主義によって憲法、特に憲法9条の趣旨は何度も死んでいたのにである。

歴代政府の憲法解釈変更

吉田茂総理は、憲法前文と憲法9条から自衛権すら放棄すると答弁していたが、マッカーサーの方針転換によって、吉田総理の答弁は180度変わり、自衛権まで放棄せずとの方針となり、ここで初めて憲法解釈の問題が生じたのだ。鳩山一郎総理は、国会答弁において自衛隊が軍隊と言っていいものかどうか分からないとし、その後始めて自衛力なる概念を創造して自衛隊の合憲性を補強した。PKO法案に際しては、違憲自衛隊を海外に派遣するなど論外とする論調が強く、当時野党からは、「憲法9条は死んだ」とコメントされた。周辺事態法では、武器弾薬は違憲で、給油活動は違憲ではないとする、武力行使との一体化しない後方支援なる概念を生み出し合憲性を補強した。

そして今回の平和安全法制である。

立憲主義を守れ、との批判がなされたが、概ね意味としては、「政府の恣意的解釈を許さない。」もっと具体的に言えば、「集団的自衛権を一部であっても認めるのは、これまでの解釈の恣意的変更だ」とし、集団的自衛権の一部を認める政府の解釈変更を立憲主義違反と表現しているのである。

政府はこれまでも何度となく憲法解釈を恣意的に変えており、今回の解釈変更のみを立憲主義違反と表現するのは、木を見て森を見ず、本質を看過し枝葉末節に囚われているに過ぎない。つまり集団的自衛権の一部を認めたことのみをもって立憲主義に反すると問題を矮小化してはならないのだ。

憲法典の根本的問題点

これだけ解釈が大きく変更可能なのは、もともとの憲法が余りにも文言が不十分であり、かつその後の解釈の積み重ねによって、原則がどこにあるのか、よく分からない代物になっていると考えるべきなのだ。真の立憲主義者は、憲法を整備して政府の恣意的解釈を許さない方向性を模索し行動せねばならないのであって、護憲では断じてない。度重なる大幅な憲法解釈の変更を許すのは、憲法典自体が問題だからだ。

憲法典に集団的自衛権違憲と書いていないからこそ政府はそれを行使し得る解釈が許されるのである。もっと言えば、自衛権も書いていない。自衛権を持ってはいけないとも書いていないから解釈によって自衛権を持つとしてもよいのである。他方、戦力は持ってはダメだから、自衛力という概念を解釈によって導かなければ自衛隊違憲となる。憲法に書いていないからこそ様々な解釈が生み出されるのだ。

憲法典を改正し、政府の恣意的解釈を抑止し、真に謙抑的な憲法典へ改正を促すことこそ、真の立憲主義者の作法と言える。その意味においては、いかなる憲法改正憲法改悪ではないと断言する。

 

TPP11を前に熱狂に潜むプロパガンダの危険性を考える

選挙になると極端な言説がまかり通ってしまう。しかし、それでは国民と政治の信頼感は生まれず、結局虚無感や諦めが支配することになる。それは民主主義を奉じる国民国家にとって、最も重大な国民の当事者意識を失わせる結果をもたらす。

選挙時の熱狂的な集票活動

私の初当選は2005年の郵政民営化の総選挙。地元のミニ集会で、当時の総理大臣を質問しても忘れてしまっている人が多い。言わずもがな、小泉純一郎氏である。総選挙に際して「郵政民営化は改革の本丸であり、死んでもやる」と勇ましい発言を行って小泉劇場を巻き起こした。結果は自民党の大勝。小泉チルドレンという言葉が生まれた。

やり玉に挙がった郵政関係者は気の毒としか思えない。私自身、郵便局を改革して、果たして死ぬのか?と素朴に思ったが、そんな冷静な見方は熱狂によってかき消され、郵政民営化は実現されたが、果たして改革の本丸実現によって私たちの社会が抜本的によくなった実感はない。

次の総選挙は2009年。政権交代の熱狂によって自民党は下野したが、脱官僚依存によって日本は変わるとの大上段の主張空しく、天下りは相変わらず続き、政治主導が混乱の代名詞に成り下がってしまった。政権与党を経験した民主党はすでになく、民進党も先の総選挙で事実上崩壊した。

2012年の総選挙で民主党は下野したが、自民党は公約でTPPに明確には触れず、TPP推進を訴える候補と「自民党はTPP絶対反対」というスローガンを掲げる候補者がおり、選挙区ごとに都合の良いダブルスタンダードの態度であった。自民党は今では「TPPを先導するのは日本」と嘯いているが、TPPについて散々な誹謗中傷があったことは最早忘れ去られたようだ。

何故TPPは議論されなければならなかったのか

当時のTPPの議論の主流は、関税自主権がなくなるだの、内外無差別によって米国から干渉を受け日本はめちゃくちゃになるだの、刺激的な反対論と、第3の開国などという的外れな推進論、不利益を被る分野を無視した無条件推進論などであった。このなかで誰一人、「なぜ今」TPPの議論が沸き起こっているのか、「なぜ今」議論せねばならないのか、と答えられる人はいなかった様に思う。交渉の条件がどうなるか、それに伴うメリットデメリットを論ずる前に、「なぜ今」議論せねばならないのかが分からなくて、TPP賛成、TPP反対の議論ばかりがまかり通るのは本当に残念でならなかった。

当時、色々な思いがありながらも政府与党として「TPP交渉へ参加すべし」と主張し小選挙区で落選の憂き目を見た(北陸信越ブロックで比例復活)私としては、TPP11発効を目前にして、なぜ交渉参加が必要だったかを、改めて書き記しておきたい。

TPPが議論されなければならなかった理由とは、ひとことで言えば、世界の経済構造の変化による。1980年代GATTウルグアイラウンドの頃、世界で貿易を行っていた国は少なく、メインプレーヤーとしては、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本。お互いが顔の見える中で議論していけば世界貿易のルールは、ある意味簡単に(交渉は熾烈を極めたが)決まった。

しかし冷戦の崩壊や新興国の台頭によって世界貿易に参加するプレーヤーが増え、かつ新しい参加国の方が世界貿易の主役を担うようになると、2000年代には次第にWTOGATTの後継組織)でルール自体が決まらなくなっていく。

次第に、2国間での貿易協定締結が増えだした。それがFTAEPAである。FTAEPAが増えだすと、地域によって包括的な貿易協定を結ぶ動きが加速する。NAFTAやTPPがその例であり、特に貿易立国シンガポールは超大国中国との対抗上、TPPを発展的に「米国」「日本」を入れることによって貿易のルール形成に主導権を握ろうとしたのである。

TPPで関税ゼロは大きな誤解

日本は、世界経済の変化の中で、WTO固執するか、あるいは新しいルール形成の場を求めるかの選択を迫られていたのだ。ここまでの理解があって初めてTPP交渉への参加の意味が分かろうというものだ。ちなみに、すべての関税がゼロになるというのも大嘘。医療制度が崩壊するというのも大嘘である。

そもそもTPPに交渉参加していた米国と豪州の間では、二国間協定で関税が設定されており、新たにTPPへ交渉参加することによって、米国と豪州の二国間協定で獲得したものを捨て去る状況にはなかったし、日本の公的医療保険制度は諸外国から高く評価されており、とりわけ日本の薬価制度はアメリカにとっても都合がよいため、そもそも議論にすらならなかったのだ。

結果として関税はゼロにならず、公的医療保険制度も手付かずというところからしても、過剰に刺激的な言説は、単なる集票のための熱狂を生み出す為の、為にする議論だったことが明らかである。時として振り返らねば、私たちが少しでも賢い政治的選択をすることにはつながらない。