鷲尾英一郎の日記

鷲尾英一郎衆議院議員(地元出身!県民党として動く! 筋を通し行動する!)の公式ブログ。鷲尾英一郎本人更新

鷲尾英一郎の日記

強い違和感。私は野党共闘に一度も賛成したことはない。

今回の新潟市長選挙における報道で、私の中原八一候補を応援する行動について様々な批判が寄せられた。「野党共闘に水を差す」「野党共闘にくさびを打つ」といった批判とともに「野党共闘側から当選した鷲尾氏」、「野党共闘を推進した鷲尾氏」等々の表現もあった。これらは全くの事実誤認であるので、ここで真実を明確にしておきたい。

2017衆院選は新潟2区の構図は野党共闘ではない。

前回の衆議院総選挙では新潟県にある新潟1区〜新潟6区のうち、私の選挙区である2区を除く全ての選挙区で野党共闘が成立した。私以外の野党の候補者は共産党からも推薦され、政策協定も結んでいる。一方で、私は全ての政党から推薦を受けず完全無所属を貫き、共産党対立候補を擁立した。私の選挙区では野党共闘は成立していない。私は野党共闘側から選挙に出たことはない。これが真実なのである。

野党共闘側から当選した鷲尾氏」、「野党共闘を推進した鷲尾氏」という表現は、全く事実に基づかない表現である。野党共闘側にいたことがないのだから、野党共闘に関して「水を差す」、「くさびを打つ」という表現は相応しくない。

私は1度たりとも、オール野党共闘に賛成したことがないことも明らかにしておきたい。

民主党を分裂させて野党共闘などおかしな話。

森ゆうこ氏が当選した2016年の参院選でも、私は民進県連内で最後まで森氏推薦に反対した。共産党を含めた共闘に反対だったのはもちろん、森氏が民主党を分裂させておきながら、今度は野党結集を唱えると言うことに大いなる矛盾を感じた。さらに、2014年の衆議院総選挙で新潟県第5区へ鞍替え出馬した森氏が、米山隆一氏や菊田真紀子氏が参院選への立候補の意向を示しながら、彼らを猛然と批判し参議院へと更に鞍替えすることを許せなかったからだ。

同年の米山隆一知事が誕生した選挙に関して、私が全く動かなかったという事実についても申し上げておきたい。この選挙では、民進党県連が自主投票を決め、それに応じて連合新潟は自民党が推薦する候補者を支持した。ここで離党した米山氏を応援するのは、党としても連合新潟との関係上もおかしいと思ったからこそ、私は動かなかった。

米山知事を支える会派「未来にいがた」

私は党人として組織としての筋道や支援団体である連合との関係を慮り、動かないのが当然と思っていたのである。だがこの時も米山氏が勝てると見るや、同僚議員や党幹部はこぞって組織決定を無視した。同僚議員や党幹部のこうした場当たり的で筋の通らない行動を見るにつけ、慨嘆せざるを得なかった。こんなことでは政権は奪えないではないか。

そうした経緯があったが、当時の県連代表辞任に伴い、急転直下、私が民進党県連代表になったのだ。私が民進党県連代表になったのは、連合新潟との関係修復や、共産党との共闘を明確に否定するためにも私自身が県連代表のポストに就いた方が明確にメッセージを打ち出せると考えたからだ。

就任直後からすぐに、党本部や県連の有志がなし崩し的に支援して誕生した米山知事を、県連として支持する立場でまとめ、何より連合との関係修復に努める必要を感じ、米山知事を支える連合推薦議員の会派をつくることに尽力した。それが民進、社民統一会派「未来にいがた」である。ここにはもちろん共産党は入っていない。

当時、連合新潟会長とともに、報道取材に対して、「著しく理念政策の違う政党との連携は厳に慎むべき」と常に発信してきた。今でも変わることない私の信念だ。

野党共闘政権交代を目指すのか

政権交代を目指す以上、政権運営が困難になることが余りにも明らかな野合は、たとえ選挙の為とは言え、やるべきではないのだ。民主党政権を経験した者として、政権与党の座を目指す組織としての体質自体を改善せねばならないのに、全く理念政策の違う政党と連携するなど、政権交代からの逆行でしかない。そう、選挙目当てでしかない。

昨年の衆議院総選挙では、支持率目当てに希望の党へ合流する同僚議員たちを横目に見ながら、私は毅然と党決定に反対し、離党届けを出して無所属で出馬した。希望の党から出馬意向の議員からは、無所属で出馬するのは共産党から支援をもらう為だと陰口まで叩かれたが、だからこそ無所属の出馬表明は最後に行い、もちろん共産党へ支援を求めなかった。希望の党に参加しなかった私の陰口をたたき、希望の党共産党と決別するはずだった同僚議員は、再度、態度を急変させた。無所属として出馬する見返りに、共産党から候補者を取り下げてもらったのだ。結果、さんざん野党共闘批判をしてきた私に対しては、共産党対立候補を立てた。

それでよいのだ。私は一切ぶれていない。

「共闘の為の共闘」など、何の目的か意味不明。

私は支持率目当てに軽々に行動することもなく、オール野党共闘に至っては国政においても明確に反対である。

いわんや、である。

市民目線さえ欠如した市長選挙における「共闘の為の共闘」など、何の目的か意味不明である。私がその枠組みに参加する理由がどこにあると言うのか?野党共闘を主導する国会議員は、共産党との共闘が崩れれば自分の選挙でマイナスに働くということが理由で共闘しているのではないか。

大義名分なき共闘を拒否して、市民のために有益と思う候補を応援するのは当然だ。

やはり市民目線が大事であることは間違っていない。

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出典:新潟市公式ウェブサイト

与野党対立ではない大山崎町長選挙の構図。

先日京都府にある大山崎町長選挙の構図が興味深いものだった。共産党推薦候補対自民、公明、国民、立民推薦候補での一騎打ちの選挙戦が行われ、結果としては共産党推薦候補が勝利したというものだった。大山崎町では新潟市のような野党共闘ではない。聞けば立憲民主党福山哲郎幹事長のお膝元の話である。市民目線があってこその構図なのだと思う。

京都・大山崎町長に新人前川氏 4党推薦の現職を破る : 京都新聞

 

市町村にまで野党共闘を持ち込むことがおかしいのは常識

勝てば何でも良いという考え方が広がり過ぎるとおかしなことになる。あくまでも市民目線が第一であるべきだ。今回、中原八一さんを支援するのは、①長年の課題である県と市の連携を1番推進できる人物であり、②政令市新潟の被合併地域に含まれる田舎の実情をうまく汲み取り、行政に活かすことができる人物であり、③中原さんから最も熱心な支援の依頼があったからだ。逆に他の陣営からはそこまでの熱意は感じなかった。むしろ私は自分が排除されているのではないかと思わざるを得ないこともあった。

私は政党に所属している当時から、著しく理念政策の違う政党との連携は厳に慎むべき、という立場を首尾一貫して取ってきている。これはどんな場面でも申し上げてきたつもりだ。しかし、こんなに当たり前の筋を通すだけで、新潟県内では独自の立ち位置になってしまうようだ。私だったら、もし自分と違う意見を尊重するならば、丁寧な物事の進め方をする。違う意見を尊重すればするほど、丁寧さが重要であることは論を俟たない。それはこれまで野党が与党に対してずっと言い続けていることではないか。

 
異なる意見を尊重するには丁寧な話し合いが必要。

昨年の総選挙後、年明けに全国に先駆けてつくった「新潟県民の連帯」はそうやって出来た。何度も会合を重ねて知事と連合新潟にご協力頂きようやくできた枠組みだった。しかし、知事選挙を境にもろくも崩壊し、それを活かそうとする動きは皆無だった。鷲尾が勝手にやったこと、という陰口まで叩かれた。少なくとも知事選前までは市長選の候補者について県と市の連携を前提に一緒に選んでいこうと話し合っていたものだ。

誰も意義を認めていなかったことなのだろう。それは仕方のないことだと思っている。

今さら勝手に解消された「連帯」の話をしても仕方ないが、最早共通の枠組みがない以上、これまで以上に丁寧に慎重に物事を進めなければならないのは当然だ。政党も立場も違う者同士なのだから。

いわんや、協力を要請する側が、さも応援するのは当然とばかり、電話一本で支援要請を済まそうとするのは全くおかしな話だ。

また、たとえその結果、自分の意に沿わない行動を取る者がいたとしても、丁寧な根回しをしてこなかったことを反省しこそすれ、相手を一方的に批判するなど論外だ。

一体どちらがおかしいと言うのか。

市民目線より共闘そのものを重視する野党はおかしい。

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(写真:新潟市ウェブサイトより)

野党は共闘のために共闘をしているようにしか見えない。

新潟市長選挙が始まり折り返し地点が過ぎている。今回私の行動が一部物議を醸しているようだ。私は、何でもかんでも野党共闘というスタンスには明確に反対する。県民市民のためになるかを第一に考えなくて何のための共闘かと思う。今回の共闘のどこに市民の目線があるというのか?具体的に今回の野党共闘にどんな共通政策があり、どんな大義名分で共闘をするのか。市民目線での提言は何もない様だ。つまり、ただ共闘のための共闘をしているようにしか見えない。

前回の市長選挙では与野党対決型ではなかった。ましてや前回、共産党は明確にBRT(Bus rapid transitバス高速輸送システム)に反対していた。彼らは今回どういう了見でBRTに反対しない候補者を応援しているのかわからない。もっと言えば、連合傘下の交通労連には新潟交通労組が加盟しており、BRTは止めるつもりは全くない。BRTについて反対と賛成の団体が同じ候補者を推すのははっきり言って分かりにくい。共闘を優先するあまり、市民にとっては意味不明瞭にしかならない。

国政の都合しか考えていない野党共闘

では、共闘の大義名分であろう安倍政権にストップ、安倍政権が気にくわないから野党共闘というのも、今、新潟市長選挙において相応しいスローガンだろうか?

新潟市の状況に鑑みれば、安倍総理に文句を言えばいいという話ではないことは明白だろう。それよりも自分達がどういう市を望むか、今後の新潟市の発展には何が必要かという点こそ争点になるべきだ。何度も言うが、共闘を優先するならば、共闘するための政策を明確に掲げるべきで、それを優先課題として市長選挙で訴えるべきだ。

むしろ、私は同僚国会議員に指摘したい。なぜ野党共闘市長選挙にまで持ち込むのか?と。それは、野党共闘することで、自分の選挙が有利になるだけの話ではないのか?私は昨年の解散総選挙に際して、小池都知事の支持率目当てに、民進党から希望の党へこぞって行こうとした人たちをしっかりと覚えている。他方、連合は果たして本当にオール野党共闘をしたいのだろうか?聞けば選対は別々とのこと。もちろん件のBRT問題にも目をつぶっていると聞く。もし新潟市長選挙において、市民目線をないがしろにしてそれぞれの都合を優先させているとすれば、許されるものではない。

同調圧力には屈しない。

蛇足ながら、私がオール野党共闘に否定的にも関わらず、野党共闘を主導した側から私の疑問について、全く説明がなかったことを明らかにしておきたい。

加えて、自分たちと同調しないことがさも悪であるかのように批判し圧力をかけることは如何なものか、と思う。私は昨年の総選挙にて、希望の党合流騒ぎの際に、様々な圧力をはねのけて離党し無所属で戦った。私は、簡単に周囲の同調圧力に屈する者ではない。