和解と忘却
先日、安倍総理は真珠湾を訪れ、真珠湾で命を落とした御霊に哀悼の誠を捧げ、また飯田中佐の碑や、戦後日本の復興にアメリカが貢献したことに触れ、アメリカの寛容に感謝し、両国の和解の力を強調しました。
米国大統領と共に慰霊を行った安倍総理を高く評価する次第です。
一方で、私は、戦時中アメリカが行った日系移民に対する振る舞いや、戦争犯罪について、あるいは戦後の占領統治下での極端な言論統制や、戦後の沖縄の苦しみ、戦勝国が行った、あるいは戦後も行い続けた「こと」を忘れてはならないと思います。
忘却と和解は異なります。
忘却は、その当時必死に生きて、そしてお亡くなりになった御霊と自らとの連続性を断ってしまうことになります。
忘れずにいて、お互いが作り出した状況、悲劇を省みて、2度と起こしてはならないと肝に命じることが、本当の和解だと思います。
戦後の社会状況の中においては、私自身が例外とは思っていませんが、もはや、ただ忘却し続けた結果としての和解になっているとしか思えません。
今年も大変お世話になりました。
来年も宜しくお願い致します!
皆様、よいお年をお迎えください。