希望の党代表選
ついこないだまで一緒に仕事をしていた仲間がいると思うと、批判の筆も鈍るものだが、仲間の為と思って批判するのも筋と考えることにした。
安保法制について容認する、しないは希望の党に入党する一番のポイントだったはずだ。
私は、以前からプラカードを掲げてまで安保反対を叫ぶ民進党議員団に違和感を感じて仕方なかったが、率先して反対した人たちが率先して希望の党に入党することにもっと強い違和感を感じた。
他方、小池さんの仕掛けた排除も一定程度仕方ないと思ったことも事実で、民進党はどうしようもないほど内部での路線対立に収拾つかなくなっていた。余程肚が座っていないとこれを収めることは出来なかったろうし、実際収まらなかったのである。
だから、共産党と一線を画し、安保法制を認め、護憲ではないという旗印で選挙を戦い、2大政党を目指す、というのは極めて明確な方針だったと思う。
小池さんの言葉づかいによって支持率は急落したが、民進党内の矛盾を小池さんの独裁とも言える求心力をもって収拾するという方法は一つの考え方だ。
しかし、今起こっていることは、民進党内部での路線対立が希望の党でそのまま再現されているようだ。これでは希望の党を設立した人たちや、民進党内部での路線対立解消を願って合流した人たち、明確な旗印で戦った人たちが浮かばれない。
小池さんの求心力が落ちたからと言って選挙で戦った旗を下ろしても良いことはないと思う。小池さんの求心力を宛にして合流した人たちならば当然だと思うが、政治の世界は本当に何でもありなのだろうか、、、。
否、有権者は見ているはずだ。
もはや民進党での内部対立を希望の党で再現すべきではない。民進党の中にいた皆さんが一番分かっているはずだ。
否、一部の人たち?は自らの知性?を頼りに希望の党小池代表の踏み絵を換骨奪胎して、自己正当化できると本気で信じているのかもしれない。
当事者はそれでいいと思っているかもしれないが、私は忘れないし、私はしっかりと見続ける。
何だか希望の党のことばかり書いてしまったが、次回は立憲民主党の孕む根源的問題を指摘してみたい。